++yue's Diary++

++今までの日記++

2001年5月の日記

2001年5月1日(火)
「お姉ちゃん」
2001年5月3日(木)
結婚記念日
2001年5月4日(金)
お出かけ
2001年5月5日(土)
花影から現れた美しい人
2001年5月6日(日)
タンマの花
2001年5月7日(月)
さあ、動きますわよ!
2001年5月8日(火)
心がそよぐ…
2001年5月9日(水)
フラワーアレンジメント
2001年5月10日(木)
英国骨董街ポートベローの思い出
2001年5月11日(金)
いのちが、続く…
2001年5月12日(土)
20歳!
2001年5月13日(日)
なぞなぞ
2001年5月14日(月)
薫風
2001年5月15日(火)
富山の薬売り
2001年5月16日(水)
嬉しいこと…
2001年5月17日(木)
これが噂の「十二国記」!
2001年5月18日(金)
イルスの竪琴
2001年5月19日(土)
ギター片手に歌うお坊さん!
2001年5月21日(月)
朝を迎え入れて…
2001年5月22日(火)
一晩で出来たスカート
2001年5月23日(水)
映画「ショコラ」
2001年5月25日(金)
雨上がり
2001年5月26日(土)
shop 開店準備中!
2001年5月28日(月)
ピアノ ぴあの piano
2001年5月31日(木)
恐るべし「IT革命」!!!
「お姉ちゃん」
今、一生懸命書いたのに、ふっと消してしまった!馬鹿な私。
違うことを書こう!

私は、4歳違いの兄を持つ末っ子である。
友人には、同じく年子の兄を持つ人。
弟のいる人、妹がいる人…さまざまである。
育った環境(兄弟関係)は、あなどれないなあ…と最近思う。

友人のJARAは、妹を持つ「お姉ちゃん」である。
学生時代、色々な場面でJARAの太っ腹お姉ちゃんに出くわした。
末っ子根性丸出しの私は、「えへへっ」と思わずなついて行く。
ーーー「かなわないなあ…」と何度も思った。

上場企業の部長職以上には
圧倒的に「長子の長男」が多いと言うのも、同じことかもしれない。
いろいろなタイプがいるのだろうが、
長子は自分勝手にやってるように見えても、
どこか周りのことを視野に入れてるようだ。

Akko chanも弟を持つお姉ちゃんだ。
大学でクラブを立ち上げる時、
Miyo chanと一緒に顧問を頼みに石原先生のところへいった。
「それで部長は?」と石原先生に尋ねられて、
二人で何の迷いもなく「Akko chanです」と言った。
石原先生は、「あ、そう」と納得した。
あの時、部長がAkko chanでなかったら
末っ子同盟のMiyo chanと私は、設立準備の動きが悪かったと思う。
Akko chanは、派手なスタンドプレーをするわけじゃないのだけど
彼女で納得、安心と言えた。

皆は知っていたかどうか知らないが、
会誌の編集長を私がした時、
全部終わってからAkko chanが個人的に編集長手当てをくれた。
Adam & Eveの黄色いマグカップだった。
嬉しかったので、それから毎日それで紅茶を飲んだ。
あんまり使いすぎて取っ手が取れたので、接着剤でつけて使った。
3度目にどうしてもくっつかなくなったので諦めた。

「お姉ちゃん」の優しさに「末っ子」は弱いのである。
2001年5月1日(火)  No.67

結婚記念日
今日は私たち夫婦の結婚記念日である。
もう21年になる。よく続いたもんだ。
旦那とは見合いだった。
前の年の光さんの結婚式の前の日が見合いの日だ。
ふたりきりになって最初の話題が
「SRC造と RC造の違いについて」だった。
鉄骨鉄筋コンクリートと鉄筋コンクリートの構造の違いの話だ。
彼は大学の建築科を出て、建設会社に勤めていた。
でもその質問をしたのは私である。

私は昔から住宅や建築に興味があった。
土曜日の午後、Miyo chanと一緒に制服のまま
住宅展示場に遊びに行ったものである。
普通の学校帰りにもデパートで遊んで(?)いたが、
家具売り場がお気に入りであった。
とても怪しい女子中学生高校生だったのである。
就職してから、Miyo chanと
YMCAの「インテリアデザイン」に夜通った。
(だから、Miyo chanだって好きだったんじゃん!)

それで、これ幸いといろいろなことを彼に質問した。
その様子に、周りはこりゃなかなかいい組み合わせかも…と乗り気になった。

二人の共通点は、ひたすら建築!この一点である。
結婚後私がインテリアコーディネーターの資格をとった。

よそに出かければ、自然の風景も好きなんだが、
二人ともどうしても色々な建物に目が行く。
結局新婚旅行も、ロンドンの古い建物や補修工事の足場組や、
郊外のハーフテンバーなどの木造家屋を妙に熱心に
見て回っていたような気がする。

老後は、二人して各地の歴史的建造物を見て歩こう…というのが夢なのである。
2001年5月3日(木)  No.68

お出かけ
大変珍しい事に、滅多に育った街から出ようとしない息子が
「DEODEOに買い物に行きたい」と言った。
彼は高校3年生で、おまけに「行く」という場所も
H市中心部、家の前のバス停から乗って、乗り換えなしの調子よければ20分で到着すると言う近場である。
にもかかわらず出無精&友人も遊び歩くのがいないせいで、
未だに行った事がないらしい。

「よし、それじゃ母もまだ話題の地下街(この4月にオープンした)に行った事がないから、一緒に行こう。」

でも、バスに乗ると、横に来ない。2列後ろの座席に座る。
ふんだ。可愛くないの。
そしてあっさり到着。
さあ、初めての地下街だ。きれいで明るい。
要所要所に広場があってソレが目印になるので分かりやすい。
うきうきしてくる。
DEODEOの入り口を見つける。
地下1階である。イキナリ彼のほしいパソコンソフト売り場なのだ。

ネットでここにあると確認しての来店であるから、
「店員さんに聞きなさいよ。こういう所は商品管理もコンピュータだから
すぐに分かるはず」と言うのに、黙々と捜している。
しばらく、私は側の売り場のノートブックpcを眺めてから
「まだ見つからないの?早く聞けば良いじゃない?」と
彼の前のワゴンから、何気なくソフトのケースを一つ持ち上げた。

いきなり、それを持って息子はレジに向かう。
「えっどうした?それで良いの?捜してたのは?」
「これだ」……うそ!ホント?

またやっちゃった訳である。
実は、私はこんな事が多い。
ついてると言うのか、何気なくやって大当たり!がである。
こんな母を見ているから子供達は、母の隠れた努力より運の良さが当たり前と思ってるんじゃないかと、つねづね思う。何とかしてくれそうだと思うらしい。
それにこんな事で私は人生の「つき」を浪費してていいのか。
ちいさな「つき」より、人生の大事でどかんと良いつきに恵まれたいじゃないか!

会計を済ませて、さて、お茶でも…ソウ思うじゃない?そうでしょ?
初めての新しいキレイな地下街なんだよ?
心をそそる素敵な服や明るいお茶のお店が並んでる中を、
息子は後ろの母も気遣わずひたすらバス停を目指す。
…「おいおい」!

初の地下街、滞在時間約20分、
あっと言う間に二人バスの席に座っていた。

…やっぱり娘とくれば良かった。
2001年5月4日(金)  No.69

花影から現れた美しい人
昨日の新聞に、ひろしまフラワーフェスティバルで
南北朝鮮の在日合同(ワンコリア)パレードをする
チマチョゴリ姿の女性たちのあでやかな姿が紹介されている。

今、広島の町は「平戸つつじ」が、街路樹で満開である。
この花の名所として「半兵衛庭園」と言うのがある。
昔は「広島遊園」と言った。
幼いとき家族や近所の人と一緒にそこに花見に行った。

満開のつつじの庭で、ちびの私は花の下をくぐるように
かくれんぼするように幼馴染と駆け回った。
そして、あるつつじの茂みから飛び出したとき
そこに、夢のような光景を見た。

淡いピンクや黄色、目の覚めるようなトルコブルーの
ふわふわとした……チマチョゴリ姿の女性のグループだった。
色の美しさだけではない、丁寧な金糸刺繍がされた豪華なドレスだった。
足元は白い小さな靴、これも普段見たことのないもの、華奢で柔らかそうな様子。
年代は芳齢といえる人から祖母の年くらいの人まで、みなそれぞれに
美しい装いに、見とれるような笑顔がさざめいていた。

しばらくぼ〜っと眺めてから、母の所に飛んで帰った。
あの綺麗なドレスは無理としても、
あの可愛い白い靴ぐらい買ってくれないかなあ…
そういうと母は、同行の友人と「あれはやっぱり、日本じゃ売ってないんでしょうねエ」と話した。いったいそれじゃあどこで売ってるんだろう?

長い間、満開のつつじと共にあの夢のような光景を忘れることがなかったが、
実は、小学校時代ずっとクラスメイトに在日韓国人の少女たちがいたのである。
校区に在日韓国人の人たちの住む地域があったためだ。
けれど、彼らに向ける大人たちの視線には非情で冷たいものが有った。

うちの子が就学年齢になった頃、このあたりでも「和名」でなく本来の名で学校生活しようと言う在日韓国、朝鮮の子供たちが現れ始めた。
それでようやく私はかつてのクラスメイトの名が本来の名でなかったんだと知った。

美佐ちゃん、成子ちゃん、本当の名前で呼びたかったよ。
そんなあたりまえのことが出来なかったあの頃を思い
今、ワンコリアパレードの晴れやかさを目にすると
あなたたちがいま、何の辛さも感じずにチマチョゴリで美しく装って
微笑んでいて欲しいと思うのだ。
2001年5月5日(土)  No.70

タンマの花

ガーデニングは、元々好きなのですが、荒仕事なので
旦那と一緒でなければなかなか取り掛かれません。
結局年に4〜5日本気になるわけで、今日がその「春のガーデニングの日」でした。

今、庭にはディモルフォセカの濃いボタン色の花と
ブルーデージーの青い花をバックに
ピンクの一重の芍薬(↑)と平戸つつじが満開です。


満開のクリスマスロースが
今までの場所だと暑さで
夏を越せそうになかったので
金木犀の下の日当たりの悪い場所に
植え替えることにしました。

ついでに今まで通路が狭かったのを
思い切って広げ、花壇の縁を
レンガで押さえる事にしました。
今までの白いプラスティックの柵は
玄関がわに移動させました。

そして日陰が好きな、すずらんとギボウシ、
姫シャガと中心にクリスマスローズを植えかえ
気分はちょっとしたシャドウガーデンです。



それにしても、ディモルフォセカや
アシュガ(十二単ともいう)
ブルーデージーのたくましさには驚きます。
これは、4月の写真ですが、
左の桃の木の足元に広がる
ディモルフォセカは、今一面の花盛りです。
これが結構続くのです。

この花は花好きな人には嫌われるようです。
強くてすぐ広がるからです。

でも、うちのような年に何回かしか
ガーデニングをしない家にとって、
ありがたさこの上ない花々です。

何せ地面を覆うので雑草が生えません。
それだけでも嬉しいのにこんなに可愛い花が次から次へと咲きつづけるのです。

だから、私は「タンマの花」と言う名を進呈したいと思います。
雑草との戦いに疲れた私のタンマをキープしてくれる。
そして、再びガーデニング魂が揺さぶられ、
庭に新しい花が欲しくなった時は、
惜しげもなく切り取って場所を開いてくれる。
切った枝の花は、家中にガラスの小壜にさして飾りまわるのです。

さて、お昼の休憩は、そろそろ終わり。
もう一息「夕方の作業」に取り掛かりましょうか。
2001年5月6日(日)  No.71

さあ、動きますわよ!

休みが終わりました。
うちでは子供と旦那の休みがうまく会わず
また、一致した日にお葬式が入ると言う
付いてないな…バージョンのゴールデンウィークでした。

さてさて、みなが出かける日は久しぶり!
ようやく全部が私の自由になる日です。
 
楽しく雑草のない庭に水撒きしてから
洗濯物を干してから
思い切って、前からやりたかった
寝室の旦那コーナーの模様替えに取り掛かりました。

書斎コーナーだったはずがいつのまにか
私の発声練習室となっていましたが
コーラスを止めてからは
彼の更衣室と化していて、
私分の作り付けの本棚にハンガーが掛かっているの。
自分の分のタナに掛けてよね。
スーツのジャケットが掛かるだけ
本を片付けました。

この前、チョメさんが「インテリアは引き算だ」と書かれていたけど
ホント、そのとおりですね。
入れるところがあるのを幸い引越し時に詰め込んだいろいろなもの
夾雑物というそうですが、今見直していたらほとんどが不要なものでした。

捨てたい捨てたい……♪捨てたい音頭の今日でした。
片付けは、次につづく…

ps.ぽっぽさんこの上のが「ディモルホセカ」ですよ。
2001年5月7日(月)  No.72

心がそよぐ…

爽やかな初夏の風 ふと気付くと青葉の匂い

おはよう!雨上がりの朝、みずみずしい青葉に気持ちのいい光が溢れる。


こんな気分を表す、いい写真はないかな…と探していたら
ふと、「描けばいいんだ」ということに気付いた。

なあんだ!

それで、ごそごそと絵の具を出した。
昔これでパースに彩色したもんでした。
筆は、長年のお友達=面相筆 。あったあった…
紙は、この前娘が「これ余ったけどいる?」と聞いてくれた画用紙の全紙がある。十分十分!!

筆を持つのも何もお久しぶりで、
(またもともと下手なんだけど)
色でご理解いただきたい。
今日の私はこんな気分さ!

(…お察しのとおり、モデルは私ではありません)
2001年5月8日(火)  No.73

フラワーアレンジメント

先日、親戚の葬式があり、
親戚としては初めて
葬祭会館で行われた。

帰りにうちの旦那がきちんとセロファンを掛けた
菊の花束をもらったと言って渡してくれた。

菊の花、それも白と黄色とエンジがいっぱい。
ちょっと困った。我が家は完全に洋風住宅なのだ。
生け花の「菊盛り」=菊の一種生けは豪華だが、
秋でもないのになんか変!

それで白い菊はこんな風にしてみた。


--------------------------------------------------------------------------------

庭のディモルフォセカと
ブルーデージー、
アイビーを加えたアレンジメントを
小さなローズボールに生けた。

無理やりだけど、洋風に見えるかな?

この小さなローズボールには、
とても助かっている。

庭の花茎の短い花でも、
可愛く生けこめるからね。
3個で700円くらいだったの。
お得でした。







それと、花束の中にシンビジウムが
一本あったので
リース型の花器に
花だけ入れた。

これはテーブルの上にね。
ホントは真中に
キャンドルがあるといいらしい。

この花器は、知人が
「こんなの使いませんか?」
といって下さった。
ありがたい話である。


後は、エンジと黄色い菊を和風に生けたので
これはおばあちゃんちにプレゼント。

残りの黄菊と庭のこでまりで昔の酒瓶に生けて
我が家唯一の和室の床の間に…

花の好き嫌いを言うわけではないが
お葬式の花って、一種独特のものだ。
なにか花らしい柔らかさがないの。
これはそう思って見る私の問題かもしれないが…

それにしても
もし、自分のお葬式だったら
(幾ら安くても)菊だらけは嫌だな。
ピンク系の花にしてね?
あと水色とラヴェンダー色なら許す!

…って、誰に言っておこうか。
2001年5月9日(水)  No.74

英国骨董街ポートベローの思い出

アルバムを見ていたらこの写真があった。
丁度21年前の今日=5月10日に新婚旅行で行った
イギリスは、ロンドンの骨董屋街ポートベローである。

このインコを腕に止まらせたおじさんの回す
street organというのだろうか、
ひなびた音色の楽器の珍しさに
シャッターを押した。

ガラクタ市というのか、
昔は泥棒市とか言われたらしいこの界隈には
「こんなものまで?」と言いたくなるような
訳の分からない古いものや
錆びたもの、すでに砕けかけたものなどで
いっぱいであった。


今、又行ったら、ここだけで私は2〜3日は潰すだろう。

真鍮のフレームや、小物入れ、
アンティークのレースもたくさんあった。

アンティークガラスのランプシェードは、
それだけで一軒の大きな店を張っていた。

迷路のような狭い通路を挟んで
一坪くらいの店がわんさか並ぶ。

若かったので、半日駆け回るようにめぐった。
だから、お土産のほとんどが
ここで買ったものである。
(普通のハネムーナーは、ハロッズあたりで購入が定番)

その後、大英博物館に行ったのだが
その前にあった古本屋で写した
ウインドウに眠る黒白猫を見てやって?


2001年の今ではもう寿命は尽きているだろうが
この東の国でまさかネットで寝姿を
公開されるとは思わなかったろうな、この子は…


どこにいるか分かるかな?
2001年5月10日(木)  No.65

いのちが、続く…
私が中学生頃、母方の祖母と話していたら、
突然祖母が思いがけないことを言った。

18か19の頃、辛いことが有って
(話の感じから失恋か不本意な嫁入り話かと思った)
どうでも自殺しようと思いつめて、
駅のホームにたって、汽車が入ってきたとき飛び込もうとしたそうだ。
気付いた駅員さんに「これこれ!なにをする!」と着物をつかまれて
引き戻され、事なきを得た…と言うのだ。

私は本当にびっくりした。

もちろん祖母はその後、
「頓知が利いて手先が器用でニコニコした気のいい若者」と結婚をし
笑いの絶えない家庭を築き、5人の子供に恵まれて(うち2人は夭折)、
5人の孫を得た。

夫は、村の消防団員として原爆被災後の広島市に救援隊として行き
放射能の影響でその1年後に他界している。
我が子を一人(三男)は病気で、又一人は(長男)は戦争でなくしたが、
少なくとも自殺に失敗して後悔する事はなかったようだ。
なぜなら「愚かなことだった」と笑いながら話したのだから。

私はそのとき
「おばあちゃん、そのとき死なんでよかったねぇ。
だってそうじゃなかったら、私も皆もここに生まれてないよ」と言った。
祖母は「ほうじゃのう、ほうじゃのう…」と言いながら私を撫でた。

この話の衝撃は後になってよく考えてから来た。
とにかく、そのとき祖母は18だったのである。
18の女の子が、絶望して自殺する。
古今東西、昔から今でも幾らでもありうる話じゃないか。

その、まだ、世間も良く分からない小娘の生死に
実はその後の世界が幾ばくかの影響を受けるわけだ。
父は母に出会えなかった、友は私を知らなかった、
旦那の結婚相手は私ではなかった…だから、
うちの子供たちも存在しないのだ。

それがすべて、その瞬間の18の女の子の決心に掛かっていた。

自分の人生だから、自分だけでこの人生を生きてると思っていた。
でもたくさんの父母たち(=先祖)のつながりが
一つでも切れていたら、私はここにいない。
もっと言えば、地球の生命誕生から私まで
命のこのささやかなつながりがあって初めて
勝手気ままにふうたれている私がいるわけだ。

ありがたいと思う。
こんなに安全に平和に、日々を過ごせるのは
歴史の中でもごく最近のことのはずだ。
先祖たちの人生のどれもが生きやすいと言うものはなかっただろう。
過酷な時代を生き延びてくれたたくさんの人生に
どう応えればいいのか。

「あんたがね、そのことを知っとって毎日をちゃんと暮らしとったらええんよね」
そう、祖母が言ってくれるような気がした。

祖母は、晩年の十数年間 半身不随の寝たきりであったが、
最後まで自宅で、家族に見守られて生涯を閉じた。
今ではあの世で、おじいちゃんのとんち話に笑い転げていることだろう。
2001年5月11日(金)  No.64

20歳!

今日は、うちの娘の20回目の誕生日である。
今日は、だからちょっと親ばかを…

20年前の今日、逆子だったので帝王切開で生まれた娘。
初めての出産、そして授乳…うまく飲ませられなくて
泣く娘を 肩に力が入ったまま抱きしめて私まで泣いてしまった。
退院した時、先生には「あまり過保護にならないように…」と
釘をさされてしまった。
うちに連れて帰ると又心配で何度ものぞいていたら
姑に「どうしたの?」といわれて
「生きてるかと思って…」と言ってしまい、苦笑された。
…それからは、でも頑張るしかない、私がこの子の命の綱!

そして2年で「お姉ちゃん」に。それも、弟溺愛型の姉=別名チーママ
泣き声で弟の要求を察し、玄関では靴を履かせボウシをかぶせ
手を繋いで出る、デパートで行方不明になると母の「弟回収!」の一言で
走り回って捜す。娘は「良い娘」になり、息子は「ぱーぷー」になった。

中学時代はブラスバンドで(別名体育会系文化部)ホルンを吹く。
真っ黒になって、マーチング三昧の日々。
副部長になった2年の正月は、家族旅行の途中から一人
部活のために家に戻る。結構後輩から慕われていたらしい。
毎年東京での全国大会に親を連れて行ってくれたようなものである。
高校では、演劇部と美術部。
またまた親は、娘のおっかけ。



高2でどうしても美大に行きたいと言い出し、
(おいっ買ったホルンはどうするんだ!ん十万…)
2回のチャレンジにもかかわらず今年ついに2浪に突入。
わがままなんだか、優しいんだか良く分からなくなってきた。

でも、考えてみたら昔こんな言葉を聞いた。
「子供は3歳までに一生分の親孝行をし尽くすのだ。
だから親は、そのことを喜んでその後を育てるのだ。」と。

そうだなあ、この子の幼さ、若さからくる驚き感動を十分に
楽しませてもらったなあ。
「支払い」はすでに受け取っている。確かに。

20歳まで、盲腸以外これと言った病気もなく、
性格が悪いと言われることも無くここまで一緒に生きてきた。
これからは、どんどん違う世界に生きていかなくてはならないんだ。
残された時間を大切にしようね。

旅立ちの近いあなたに、Happy Birthday!
2001年5月12日(土)  No.63

なぞなぞ

今日、インターネットいつもの朝の巡回コースで
なぞなぞにであった。

友達繋がりの寒太郎さんのホームページである。
寒太郎さんのお宅には子供たちが日常的に訪れるらしい。
その小さなお客様がかけていったなぞなぞ。

答がわかってから、あははは…と笑いが止まらなかった。
大人ってなんて目先に騙されちゃうんだろう。
わからなかった寒太郎さんにマジメな顔で(でも笑い含みに)
丁寧にもう一度なぞなぞを繰り返す
花ちゃんと言う少女の様子が彷彿としてくる。

息子が小学2年の頃、ふとこう聞いた。
「お母さん、さかさまの瓶の中には何があると思う?」
「何かなあ、空気?」
「ううん、違うよ。中と外がさかさまなんだよ」
「わかんないよ…?」
「あのね、全世界」
「ええっ?」

あなたには、わかりましたか?
小学校2年生にして全世界を「小さな瓶の中以外の部分」に
閉じ込めてしまった息子は、周りが期待したトポロジー数学には、
興味を失い、いまは、単なるロープレゲーマーである。
……退化してない?
2001年5月13日(日)  No.62

薫風

うちのキッチンは、北側に窓がある。
私がチビなので、つり戸棚はつけなかった。
だから窓は天井までの高さがある。

そこからは、裏のよその畑が見える。
300坪近いその「農地」を農地たらしめる為に
遺産として相続した近所に住む地主さんは、せっせと果樹や野菜を植えつづける。
ただ、町育ちの彼らは本気の農業ではないので、(トラクターも何も無いので)
人手だけでがんばっていて、端で見てても無謀な努力に近い。

何はともあれ、そのお陰で
私は毎朝新緑に輝く柿の木や
あやめの花盛りを眺めさせてもらっている。

私の位置からのビューは、緑だらけでその向こうの人家は隠れて見えない。
あえて近くにあるマンションなどが頭を出すのみである。
これが、私の宝物…
どうぞ、この土地がマンションなどに変身しませんように…
本気で毎日願っている。
2001年5月14日(月)  No.61

富山の薬売り

今朝、うちに富山の薬売りさんがやってきた。
年に2回、春と秋にやってくる。
本当に富山からやってくるのだ。
おじいちゃんちにずう〜っと昔から来ていたらしい。
結婚した時、旦那が実家から富山の薬をもって帰るので
ついに富山のおじさんがうちにもやってくるようになった。

本当に、紙風船とゴムの風船を子供にくれるのだ。
だから私もコーヒーを淹れてもてなす。
おじさんは、煙草を一服してコーヒーを飲んで
信じられないほどでっかい行李を背負って帰っていく。

「それで効くの?」と私の友人は聞く。
「お腹が痛いのは治るみたいね」

ただね、あのおじさんを「お接待」しているとき
私は、江戸時代の嫁もこうしてたんだろうなあ…とふと思うの。
そのあまりのレトロさがちょっとわくわくするのだ。
だから、玄関ドアの向こうにおじさんが消える時に
私は正座して両手を着いてお辞儀をするのだ。
インターネットの世界とは全然違う昔風の世界…まだまだありますよ。
2001年5月15日(火)  No.60

嬉しいこと…

とっても嬉しいことがあった。
ネットでしか知らないチョメさんから
お花が届いたのだ。

こんな展開でこんな贅沢…
心の贅沢、気持ちの贅沢…

いいなあ…こんな気持ち。

あなたにもおすそ分けして上げたいけど
うちにはデジカメが無いので
包み紙だけスキャナで写した。

ああ、あしたちゃんとした写真を撮ろう。
緑の葉っぱのバスケットに
入っているパウダーピンクや緑味の白、淡いブルー
薄紫のホントに好みの色合い…お楽しみに!

お待たせしました。
ようやく、画像をアップできました。
どうです?素敵でしょ?

篭に入ってるのだが、その篭が面白い。
ヒバのような緑の針葉樹の小枝が編みこんであるのだ。


お花ももうこれは
ミニ薔薇とユーカリと…
あとはホントに知らないお花ばかり!

調べてみる楽しみが増えた。
名前を知ってるのがあったら
教えてね?
2001年5月16日(水)  No.59

これが噂の「十二国記」!
小野不由美の「十二国記」シリーズを
ご存知だろうか。
ファンタジーの分野だが、
世界観と誠実に生きることって…
なぁんてことを
思わず考えさせられる内容だ。
作者の小野不由美は、
「ゲームマシンはデイジーデイジーの歌を歌うか」という
エッセイでも分かるように
自他ともに認めるゲーマーである。

だからというわけではないが、
小説もエッセイも読むと
歯切れの良い、小気味いい進行で好感とともに
「この人ストーリーテラーとして面白い」とふと思う。


私は、この第1作の主人公の陽子が、
ごく普通の高校生活で事なかれで生きてきたことを
パラレルワールドの海客となって
その無意味さに激しく打ちのめされながらも
徐々に他者とのかかわり方を学んでいく
そのプロセスを、見事に描いていると思う。

自分の猜疑心を表す「蒼猿」の述懐など
苦いだけでなく、それを正視して初めて
陽子が納得していく、現実を受け止めていくという
重要な部分を成している。


まあともかく、山田章博の挿絵で
コミケなどでは、ちょっと違った
評判でもあったようだが、
(確かに多くの女性が出てくるにもかかわらず
人気があるのは、雁王尚隆や景麒らしい)
まあ、一読されることをお薦めする。

なんと山田章博は、この絵で漫画も描いている。
それもカラーで…信じられない絵巻物のレベルである。
中国の妖怪傾城や、陰陽師阿部清明まで出てくる。
これもなかなか続きが出版されない。
…もっともだろうと言う気がする。
あの絵で描き通すなど…無謀!(でもがんばってね)
(タイトル忘れている私を許して!)

私の心配はそれだけではない。
12も国があるはずだのに
まだ6冊しか出ていないし、
名前の出た国も
恵、雁、戴、芳、功、奏、…
これくらいだったかな
どうなるんだろう、こんな調子で…
それに今のところ「図南の翼」以後の新作が出ていない。
小野不由美は、今ハードカバーで
すっかりホラー小説家として名を成した観もある。

私としては唯一言!
「帰ってこおいよぉ〜!」
2001年5月17日(木)  No.58

イルスの竪琴
今日は、山岸凉子の挿絵につられて買った
イルスの竪琴シリーズ
1巻「星を帯し者」
2巻「海と炎の娘」
3巻「風の竪琴弾き」を紹介しよう。


ファンタジーである。
完全にファンタジーである。
と言うことは、主人公が
不思議な力を持っていたりする。

おまけに、相手役のお姫様まで
行方不明の主人公を捜索する旅に
力強く無謀にも出かけたりする。

それも彼の妹と婚約者と
他の国の近衛兵(その国のこれが王女なんだな)と
いう、なんとも危ういような三人ツアーである。


そして、最初から主人公のモルゴンの傍に
何故か引っ付いている
王国の竪琴弾き…

このキャラクターが凄い。

山岸さんの絵柄のキャラの振り方から
われわれには即座に
胸に一物ある、重要なことを隠している
そしてそれに辛い思いをしている人物…と
読めてしまう。


そして最後に彼の秘密が
明らかになるのだが
このあたりの情景はまるで

無垢なる英二を
本人に気付かせずに守ろうとした
「バナナフィッシュ」のアッシュに通じるものが
あるんだな…これが。

いやあ、話の落ちを説明せずに、
この本の面白さをあらわそうとするのは、
難しいもんだね。

でも、けっして「ho*oミシュラン」の世界でないはずで
あきらかなヘテロ思考なのに
なのに、なんなの、この濡れ場…
クライマックスが濡れ場にしか見えないとは…

私が変なの???
誰か読んでから、私に教えて!
2001年5月18日(金)  No.57

ギター片手に歌うお坊さん!
今日は、数ヶ月前から準備を手伝ってきた
ミニコンサートがあった。

場所は、寺の本堂。夜の7時半〜。
出演は、前座に「おおぞら作業所」所生さんのハンドベルと歌
        「手のひらを太陽に」
真打は、神奈川県相模原市蓮光寺住職 北條不可思(ほうじょうふかし)さん

去年に引き続き2度目のコンサートである。
コンサート…いえ、正確にはギター弾き語り法話。
とはいっても長髪を後ろで束ね、
僧侶の衣に真っ赤なベルト、
ギターをかき鳴らしハーモニカをくわえて歌う姿は
完璧、ミュージシャン!

この方は、東京築地別院でも大阪でも
ニューヨークでもコンサートをする人なのだ。

歌はタイプとして昔のフォークみたいな感じ。
メッセージがはっきりとある、歌詞が聞き取りやすい。
うきうきしてくる…というより、しみじみ。
心の中にズシン!涙がこぼれそうにもなる。

本堂には150人くらい集まった。
去年もいたおばあちゃんたち、
今年、皆で誘った若い人たち、
皆全員、最後まで、聞き入っていた。
おそらく寺の本堂に入ったのは初めて?と言う人も。
マダガスカルからきた外国人もいた。

実は昨年のコンサートは、興にのりにのって3時間半続いた。
いつものご法話のつもりで来てたおばあちゃんたち。
9時過ぎにはいつも帰るものを、11時近くなっても帰らないために
家族が慌てふためいて、警察に電話をしたという話があった。
それで、お願いしますよ、次回も来てもらうためにも
9時半には済んでくださいね、と念押しした。

北條師は、ジョークのように時間を聞きながら
ちゃんと9時半に終わってくださった。
…ああ、よかった。

来た人が、皆「よかったよぉ」と感想を述べてくださった。
…ああ、よかった。ほっとした。

会場を片付けて10時過ぎに帰宅した。
そのまま次の朝11時まで眠りつづけてしまった。
…考えてみれば、私はコンサートの間中
本堂の周りで会場に気をつけながらうろうろしていたのだ。
疲れるはずだね。でも、いい経験でした。

北條師とは6月23日に、郵便貯金ホールでジョイントして演奏する。
ハンドベル(私はこのパート)と混声合唱とギター弾き語りである。
ご一緒できるのが楽しみだ。
2001年5月19日(土)  No.56

朝を迎え入れて…

疲れ果てて眠り込んで、
ひたすら眠ってばかりだった週末から
一夜明けて
朝がやってきた。

さあ、元気を出そう!
まず庭の花にお水をやって…
今日会う人を迎えよう。

笑顔は目が覚めている証拠。
相手をしっかり見ている証拠。
「おはよう」!
2001年5月21日(月)  No.55

一晩で出来たスカート

昨日、娘が布地を買って帰ってきた。
何に使うのかと聞くと「スカートを縫いたい。」

ふ〜ん、がんばってね。
ところが夕食準備の忙しい時に
型紙がどうたら、寸法がどうたら言うので
思わず「食事の準備をいっしょに急いでしてから
縫うことにしよう!」と言ってしまった。

食後、ああだこうだとやって
コンシールファスナー付けやら、ウエストベルトやら
ギャザー寄せやらあれこれあれこれ…
何とか目鼻がついた頃(10時くらい)
「やっぱりこれがすまなきゃ私寝れないんでしょうか?」
と聞くと、こっくりする。ああん。

結局12時近くなって前タックのギャザースカートが出来た。
今朝、早速着て予備校に行く。
やっぱりウエストが細いとギャザースカートもいいなあ。

…でもなんだか、便利に使いまわされている母であった。

コットンの薄地だったので、
透けそうだが、これもいいかなと思う。

写真を撮る時
上に厚地のTシャツなのでなんか変。
まあいいか…

コンシールファスナーは、
右と左を2本縫ったら
もうおしまいなので
普通のファスナーより
よっぽど簡単である。

おまけに出来上がりが
うまい下手がばれない…

脇の縫い代始末に至っては
布の耳をそのまま利用の
手抜きこの上ない状態である。

ともかく、12時まで(OH!シンデレラ!)に出来上がって
よかったよかった…

2001年5月22日(火)  No.54

映画「ショコラ」

今日は、お待ちかね1000円で映画が見れるレディースディ!の水曜日。

朝のホムペチェックの後、
アップする予定のページをいじっていたら
娘から電話。
課題で使うからカメラを駅まで持ってきて…だって。

そうだ!ついでに映画館に行こう!と思い立ち
ネットで確認するとなんと「ショコラ」は25日までの上映!
大変大変…急いで急いで…

10時に駅で、娘にカメラを渡して「お昼まで映画見ない?」
と聞いたら、「行く!」
瞬時に娘はサボりモード。

そのままサティに車を入れて上の
ワーナーマイカルシネマズに行った。

場内は女性客ばかり。
定番のポップコーンやドリンクを持った中年女性(
あんたもでしょ…といわれそうだが)の三人連れが入ってきた。
お願いだからおしゃべりしないでねと念を送った。

そこで映画鑑賞モードになる。
靴を脱いでひざを抱えた。
このために私はGパンで映画館に行くの。
途中であぐらに変わることもある。

ストーリーは因習の村が徐々に心の解ける有様が
結構いろいろ起こりながら進行していく。
見ながら(鎖骨がきれいに見える服っていいな)と思った。
襟のクリの深い服を着ると寒がりだから、
寒くて溜まらんので、なかなか着る機会は無いのよね。

色っていうのも随分感情を表すものだと思った。
ビアンヌのピンクのアンサンブル(?)カーディガン(?)いいね。

ともあれ、その後、娘とカレーを食べて
1階のサティで食品を買って
集めた駐車無料券で駐車場をただででた。
その後娘は駅前のJUNK堂に行って
再び予備校に戻っていった。

雨の中、いつもと違う一日になった。
2001年5月23日(水)  No.53

雨上がり

雨上がり…心がふわっと浮き立つよう。

ところが!!!
夕方の水撒きから、私には恐怖の季節が始まった。

蚊である。
刺されやすい体質というのがあるとすれば
ピンポーン!それこそ私のことである。
わずか、10分の間に11箇所。
家に入って、すぐバスルームで石鹸で洗い流す。
たくさんの場所を刺されたら、これが一番!

そのあと、ムヒを塗った。

これからは、花粉の季節以上に気をつけなくてはいけない。
紫外線も多いし、虫も多い。

「虫除けと日焼け止めが
一緒になったクリームがあれば良いのに…」
というと、「その二つが同時に必要なのは、君だけでしょ」と
旦那に言われてしまった。

皆様。そうなの?

この季節の、はずせない蚊対策グッズをご紹介しよう。

一夏で何本も使ってしまう虫除けジェル。
首筋にも頬にもぬれるのがお薦めポイント。
近所の薬局にこの製品を指定して、
何本も仕入れてもらっている。

洗濯物を干す場所が、さいわい囲われた場所なので
まず洗濯中に蚊取り線香でしっかりいぶしておく。
そして、おもむろに洗濯物を干すのである。
この蚊取り線香は、一般のものに比べて
目や喉が痛くならないので気に入っている。
ハーブのお香みたいな感じ。これもお薦めである。

ただ、娘の言うのに蚊取り線香で逃げるのは
オスだけだそうで、肝心の刺すメスには効果が無いというのだ。

でも気休めにやってる。

あなたはどんな対策をされているのだろうか?
2001年5月25日(金)  No.52

shop 開店準備中!



今日は、一日
インターネットショップ(kayakoubou shop)の開店に向けて、
パソコンの前に座っていた。
お陰で、歩数計をつけていたのだが
一日でたったの184歩!

どんどん不健康な生活へと突入している。

おまけに一段落したと思ったら、夕方
友人(Mac仲間)が、音楽ソフトをポストに入れてくれていた。

彼女は、近所に住むヴァイオリニストなんだが、
私の音楽活動の大切な助っ人である。
やってたコーラスは少人数の女声アカペラだったので、
適した楽譜がほとんど一般に無く、
そのたびに無理を言って編曲してもらっていた。
一方的にお世話になっているのだけど
「面白い!」と言っていつも助けてくれる。

その癖がぬけなくて、コーラスを止めた今も
こんな楽譜が欲しい…となったら即!「助けて〜」と言ってしまう。
ところが金曜日にある曲のオブリガードを作ってもらったのだが
彼女のMacが、楽譜を印刷しなくなって困ったねえ…といっていたら
フロッピーに入ったMIDIが来た。
音はうちので鳴らせるのでテープに録音できるからいいんだが、
楽譜が欲しいといったらソフトが来た。

「アンコール」という音楽ソフト。
五線譜に音符を並べると
音になって聞ける。

インストールしたら、面白くて面白くて
没頭してて、日記を書く暇が無くなった。

知人友人とはありがたいものである。
(食洗機をあげた知人とは彼女のことである。
 ここまでお世話になってるんだもの、当然でしょ?)


おしらせ>> 
  ようやく、チョメさんから頂いたお花の画像がアップできました。
  5/16の日記に追加しています。
 
  これもようやく、娘の縫ったスカートの完成画像もアップしました。
  5/22の日記に追加しています。
2001年5月26日(土)  No.51

ピアノ ぴあの piano

そういえばピアノとは長い付き合いである。
始めたのは3歳の時、
初めてのレッスンでグランドピアノが触れたのは
幸運と言うほか無い。
蓋を開けて先生がだっこして中を見せてくれた。
ピアノのキーを叩くと中でハンマーが動くのが面白く
強烈な印象となっている。
レッスン室が海の見える洋間で(昔良くあった日本家屋に洋間がついてるあれ)
レースのカーテンがゆれる明るい窓辺も良く覚えている。

その後、何かと不都合があって結局4人の先生に習った。
それぞれの先生に師事していた時期以外が結構有って
そんな頃は勝手に楽譜を買ってきたり、曲を作ったりして
かって気ままに弾いていた。
だから、大成していない=はっきりきっぱり言うが下手である。

それでも、ピアノはあるくせにステレオも無いし、
レコードプレーヤーは有っても
レコードは日本舞踊用の端唄長唄ばかり
親がやってる音楽は謡曲、
連れて行かれるコンサートは
謡曲のおさらい会と言う家庭環境のもと
西洋音楽(クラシック)への憧れはやみがたく
聞きたければ自分で弾くしかなかったので
滅茶苦茶にでも弾きたかった。(=つまり聞きたかった)

だから仕事についた20代でも
朝、出勤前に10分でも時間が有ればピアノを弾いた。
今考えれば、ホントに好きだったんだなあ。
同じように幼少期にピアノを習い7歳で弾く事を放棄した兄は
その後オーディオに凝り、スピーカーや、アンプを自作して
オペラやカンツォーネを自室でがんがん鳴らしていた。
これもなんかトラウマがありそうである。

ある日(22歳ぐらいの時)ピアノを弾いていたら
庭先から近所の子供が2〜3人覗き込んできた。
(うちには塀と言うものが無かった)

「あ〜っ!おとなのくせにピアノひきよる!」
ーーえっ大人が弾いちゃいかんか?
「なんでこどもじゃないのにひくん?」
ーーひいてもいいじゃない?
  世界には(ちょっとお子様には唐突だったかな)
 大人でも弾いてる人いっぱい居るよ?
 有名な上手な人って大人のおじさんが多いんだよ。
「え〜〜〜!!」
「○○ちゃん(自分のこと)のおねえちゃんもひくよ」
ーーふ〜ん、お姉ちゃんて何歳?
「あのネ、小学校!」

何で、こんな思い出話をしているかと言うと
先日の音楽ソフトである。
指の訓練のかけらも残っていない私には(我が家では)
ピアノはただのディスプレー台と化していて、
聴きたい音楽はCDを買うのみ。

それでも、コーラスの楽譜など
どんなアレンジなのか知りたいと思ったら
今まではぽつりぽつりと弾くしかなかった。

ところが!この楽譜作成ソフトは凄いの。
五線譜に音符を入力したら
「演奏して?」とclick!すると
音になってでてくるの。

もう、嬉しくって嬉しくって…
今はまだ、捧のような弾き方(音の出かた)だが
今に使いこなして、自分ごのみのサウンドをPLAYしたいなあ…
そんな風に夢中なのである。

でも、それにしても
ピアノをやっててよかった…と今でも思っている。
2001年5月28日(月)  No.50

恐るべし「IT革命」!!!
恥ずかしながら、私のPC周りの画像である。


LDKの食事コーナーの隅に
丁度半間の物入れがある。

初めからちょっと思って
デスクの高さに棚を入れてもらっていた。
その上には、本棚を最初入れていた。

舅は「ここは、仏壇を入れれば丁度いい」と言ったが、
実はしっかり電話線の配線とモジュラージャックを
デスクの左横に設置済みであった。

そう!私は最初から
ここがパソコン置き場と心に決めていた。
(そのころはまだ、MSXしか持って居なかったくせに!)

引っ越して半年後にMacを買い
本格的なPC lifeが始まったのだ。

その後、弾みでiBookを買い、その一年後に
古い方のMacが壊れて修復不可能になり
心で泣いて大型ごみの日に出した。

いま、仏壇予定場所だったところには
だからWindowsマシンが座って居る。



さて、今日実家の母と話していたら
「私もパソコンを知りたい」と言い出した。
「はぁっ?」とよく聞いてみれば

IT革命と世間じゃ騒いでいるが
いま、地元の公民館で「IT講座」が盛んなのである。

それで、自分は関係ないと思っていたらなんと
家の近所の知り合いのおばちゃんおばあちゃんたちが
ほとんどこぞって申し込んでいたらしい。
その年齢50代から70代まで…

母曰く「私も、皆と話が合わんようになるのは、
嫌だし…」…(そりゃ、こどものようだぞ?)

まあ、興味を持ったのはいいことだと
来週からiBookをもっていって、教えてやろうと思う。

ところで、その「IT講習」だが、
公民館の人と話していたら、
ある公民館ではホントに本との初心者がこられて
第1日目は、マウスを動かす…これだけで一日暮れたという。

「そりゃ、習熟度別クラスにされないと…」というと
「その話を聞いて、私たちもちょっとめまいしてます。」とのこと。

私はまったく気もとめていなかったが
世の中そんな雰囲気になっているらしい。
恐るべし「IT革命」!

母には、アルファベットの大文字小文字と
ローマ字表記の子音母音を表の縦と横に書いて
中を埋めるように…という宿題を出して帰った。

兄は笑って「大正琴の練習をするぐらい熱心にやれば
できるようになるさ」といったらしい。

さてさて76歳の挑戦!いかがなりますことか…
2001年5月31日(木)  No.49

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
++HOME++
[日記一覧] [最新]
shiromuku(fs2)DIARY version 3.00