++yue's Diary++

++今までの日記++

2001年10月の日記

2001年10月18日(木)
ボランティア煎茶席
2001年10月31日(水)
かなしい
ボランティア煎茶席

私は、もう随分長くお煎茶のお稽古に通ってる。
抹茶は12歳からだが
煎茶は、抹茶を習っていた先生の都合で
縮景園での茶席を手伝うことになり、
付け焼刃で始めたのが20歳の頃である。

結婚後 下の子供が幼稚園に行きだしてから
再びお稽古を始めたのが、もう15年前である。
今度は、実家の母のやってる公民館のグループに入れてもらった。
実家に行けばよさそうなものだが
連れがないとサボるからだ。

公民館のグループは、最近「1グループ1ボランティア」を提唱している。
公民館で習ったことを、地域に還元すると言う活動である。

夏休みに、小学生対象の一日体験講座を数年やった。
今年は、もっと表でやろうと
公民館のロビーでデモンストレーションすることにした。

セッティングして待っていると
たまたま公民館に遊びにきた
小学生がわらわらとやってきた。
男の子たちは、お菓子が食べられると言うので
吸い寄せられるようにやって来る。
女の子たちは、あれでもおとなしくて
まるで野の花のような可憐な様子で席につく。

お陰でとてもにぎやかな茶席となった。
2001年10月18日(木)  No.14

かなしい
自分が本当は何を求めているのか
分からなくなることがある 。

2年前にひどく傷付くことがあった。
それ以後コンタクトの無かった相手から
突然電話が来た。
彼女は昔と同じように話し掛けて来る。
…逃げようも無く、返事をする私。

私はもう2度と出会いたくない
話したくない
あの時壊れたものは
そのままなのだ…でも

12年もの月日を費やして
細かな触手のように結ばれた記憶は
ほとんど条件反射のように
なんの障壁も感じさせずに
相手への理解をつむぎだす
その、あまりのスムーズさに
我ながらうろたえるほどだ。
まるで聴覚から声帯までバイパスがあるみたいだ。

けれど
あの時失っってしまったものを
私は忘れることはできない
未来の無いことを
はっきりと思い知らされたあの記憶を…

未だに事の本質を
分からないでいるだろう相手を
想像できる自分が今は情けない。
それほど全精力を傾けて
かつて私は彼女を理解しようとしたのだ。
そうして準備されたものはすべて
彼女の「わがまま」を受け止めるということでしか
機能しなかった。

彼女の「わがまま」が
一見自己中心な物には見えなかったことで
私は完全に思い違いをしてしまったのだ。
それが最初のボタンの掛け違い…
そして、彼女も…
一つのほころびに対して、
彼女の見せたあまりの反応に
私は、見たくなかった現実を直視することとなり
その辛さのまま、すべてを終結することを選んだ。
そのこと自体、
回り(仲間や公的機関)にかけた迷惑も含めて
自分の罪であると思うが、
決断したこと
やったことに後悔はない。
終結のための事務処理をどうやってやったか
実はよく覚えていない。
ファイナルパーティーまでのことは
霧の中の記憶のようなのだ。
一つ覚えているのは
帰りのタクシー乗り場で
「さようなら」と言えなかったこと。
そして心の中で
「さよなら、もう生涯会いません」と思ったこと。

人と人との繋がりの中で
こんな淋しい記憶というものは
めったにあることではないだろう。
それがかつて、
暖かな微笑と笑い声とに包まれていたことを思うと…。
私は立ち直るのに1年以上かかったのだ。

その当時の仲間の、何とかならないかという
優しさからの配慮で、
今回の電話になったのだと
これまたわたしにははっきり分かる.
彼女たちの温かさは、やはりありがたい。
けれど、私と彼女、
この組み合わせがそもそも間違いだったのだ。
互いの性格からして、それが不毛の原因である。

なぜなら、
ともに仲良くしていたころと
彼女に対する何も変わっていない私、
そして何も変わってはいないだろう彼女。

私は彼女に優しくできるだろう。
彼女を理解し、
同意や慰めの言葉を掛けられるだろう、今でも。
だけどダメなのだ、
相互理解の生まれ得ない関係は。
私は辛くなる。
辛いまま続けようとしてしまう。そしてそれが
新たないさかいを回りに生んでしまう。
それがこんなにはっきりしているのだから。

だから、お願い、私に触れないで…
今はそう 心が叫ぶ。
それが、


かなしい。
2001年10月31日(水)  No.13

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
++HOME++
[日記一覧] [最新]
shiromuku(fs2)DIARY version 3.00