++yue's Diary++


2006年2月の日記

2006年2月10日(金)
お久しぶりです。
お久しぶりです。
こんなに間が空いては日記とはもはや呼べないかも…
しかしまあ、50の坂を越えると、いきなりいろいろなことが起こります。
最大のものは、昨年秋からの舅の介護。

入院するということが、88才の彼にいかなる影響があるか
本心から分かっていなかったなあと今更思い知ります。
夜中に目覚めて、我が家ではないという状況にパニックを起こすのです。
もしくは起こしそうになる…それで、家族の泊まり込みが必要となりました。
ほとんど一日中眠っているので、付き添いに格別用事がある訳じゃない…でも
夜中に目覚める一度か二度のその瞬間のために、付き添いが泊まり込む。
秋の入院時(10月中旬の2週間)にそのことを思い知らされ
(夜中に起き上がろうとしてバランスを崩し眉間に裂傷をおう事故があって)
一日でも早く自宅へ帰らせたいと言うのが家族全員の一致した思いでした。

今回(1月27日〜2月9日)は、
入院が決まった瞬間、泊まり込みの人材をいかに確保するかということで
名古屋の姉に帰って来てもらいましたので、私と二人で交互、一週間後に姉が帰宅してからは、外泊と旦那の付き添いとでなんとか乗り切りました。
これも姑がまだ自立しているのでできること。両方だったらどうなったか…

大変な状況ではありましたが、命に別状がある訳ではなかったので
看護/介護のレベルでの問題でした。
帰宅してからは、夜中のおむつ交換をどうするか(夜間でも800ccもの排尿があります)
ということで、外泊で戻ったときは私が母屋の居間の一人がけソファで寝たのですが(寝室以外そこしかエアコンが無い)全く休めなかったので、
外泊2晩目は私は自宅(離れ)の寝室で寝て、夜中に2度(1時と4時)、カギをちゃらんちゃらんさせて母屋に行くということにしてみました。
微調整して、紙おむつ3種類使いで尿量と皮膚の快適さと漏れを防ぐと、
夕べは11時と明け方6時というらくちんな時間帯で可能だということが分かり
ちょっとほっとしている所です。

夜、うちの勝手口のカギを開け、出てカギをかけ、10歩ほど外を歩いて(ひぇ〜さぶい!)
母屋の勝手口のカギを開け、入ってカギをかけ、寝室へ。
帰りはまたその逆をするというのは半分寝ぼけ眼の私には面倒くさいことこの上無しではありますが、この方が私は自分のベッドでじっくり眠れるので、快適なのです。
(病院の付き添いベッドより良いもの。あの固さにまいって、私はムートンを持ち込んでしまいました。)
でも、夕ご飯を運ぶときもこの手順なので、雪や雨が降ると「渡り廊下〜〜!」と叫んでいるこの頃です。

*画像は、付き添いさんにおすすめ、お食事用セットとメモです。
朝ごはんにはトーストが食べたかった私は、タカキのイングリッシュマフィンを給湯室のオーブントースターで焼いて、チューブ入りのマーガリン塗ってました。いつものレディーグレイのリーフティーは我慢して粉のジンジャーミルクティー、これに果物か野菜ジュース(一日分の緑黄色野菜というやつ)ベビーチーズ1個、ヨーグルトと言う朝ごはんです。楕円の木のお皿に紙ナプキンを敷いてトーストを置きコムサのマグで飲み物を入れると、ちょっと気分が良かった。
小さめのお盆にもなるこの楕円皿は軽く壊れにくくてとても使い勝手が良かったです。
和食のお弁当のときも、お茶やお箸をこの皿に置くと安定していて下が汚れなくてベリーグッド!
メモは、姉と情報を共有するために結構細かく(主治医の話や父が話した内容まで)書いていましたが、このお陰で帰宅してからも血糖値や尿量のことなど、具体的にイメージできて助かりました。エンピツを刺す所が無かったのでクリップで代用したものです。
後ろのピンクのプラスティックバッグは、私用のものを入れて、気兼ね無しに床に置けたので便利でした。色は「バブルガム」という名で、他に白やブルーや黄緑もあります。
家庭介護が始まって、母屋との行き来に必要で購入していたものです。ピンクにしたのは、日本家屋の母屋で目立つことで忘れないようにというのを狙ったのですが、意外やこれが楽しい介護のイメージで気持ちを和ませてくれます
ドイツのkoziolの》TASCHELINOという製品です。


2006年2月10日(金)  No.172

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
++HOME++
[日記一覧] [最新]
shiromuku(fs2)DIARY version 3.00